上町台地・谷町周辺

カテゴリ:上町台地・谷町周辺 の記事一覧

空堀(2)

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「空堀商店街」から見た北側

昨日の空堀(1)に続いて、空堀周辺のレポート
今日は「空堀商店街」の北側を見ていきます。


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上の写真の逆から
突き当たり(南側)が、「空堀商店街」のアーケードです。




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坂の途中にある「Art Gallery そら」
左側の路地もいい感じです。




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坂を下りきると平坦な街並が広がりますが、松屋町以西に比べると高台に位置します。
江戸時代以前のこのあたりは瓦の土の産出や瓦の製造が行われていたらしいです。




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複合文化施設「萌-ho-」
「萌-ho-」のHP http://ho-karahori.com/index.html




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こういう長屋も多く見られますが、
昔からの店と新しい店が混在している感じです。




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谷町六丁目駅近くにある「観音坂」
ここを上ると谷町筋に出ます。



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1つ上の写真の「観音坂」を上ったところから




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松屋町駅付近「高津原橋」南詰にある
御屋敷再生プロジェクト「練 - len -」
大正末期に神戸の舞子より移築された建物に16の店舗が入る商業施設です。

「練 - len -」のHP http://len21.com/index.html



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タワーマンションとレトロな建物の対比がおもしろいです。




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続いて、「高津原橋(たかつはら)」をご紹介していきます。




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「橋」と言っても下は川ではなく長堀通の掘割上に架かる陸橋です。
市電を通す際に長堀通を開削・拡幅した際にできたらしいです。
上町台地を貫通するJR環状線と大和路線の掘割上に架かる「阿倍野橋」同様、
高低差のある地形ならではですね。




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「高津原橋」上から見た南側
手前左側は先程ご紹介した「練 - len -」
奥の突き当たりは、昨日の空堀(1)でご紹介した「空堀商店街」です。




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「高津原橋」上から見た北側




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「高津原橋」上から見た西側
長堀通と松屋町筋が交差する「松屋町」交差点
交差点の地下には地下鉄長堀鶴見緑地線松屋町駅があります。




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「高津原橋」上から見た東側
長堀通の長い上り坂が続きます。
この辺りもタワーマンションが増えました。




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1つ上の写真とは逆に、
長堀通の坂道の中腹から見た西側「高津原橋」、「松屋町」交差点方面




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空堀から長堀通を挟んで北側にある「榎木大明神」




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この辺りも古い建物を利用したお洒落な店が多いです。




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長堀通から見た「榎木大明神」への坂道




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最後は、すっかり夜の写真になってしまいましたが
長堀通と谷町筋が交差する「谷町6」交差点付近(谷町筋の南側から)
「谷町9」交差点同様、渋滞緩和のためにアンダーパスが設けられています。




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「谷町6」交差点から見た西側、長堀通の坂道 
長堀通は途中でカーブしているので「高津原橋」や「松屋町」交差点まで見通すことはできません。
 
 

空堀(1)

このところ慢性的に仕事がバタバタで、すっかり更新が滞ってしまっていますが、
上町台地シリーズの続きで、今日から2回に分けて空堀周辺をご紹介したいと思います。
UPするのがやっとって感じなので、キャプションや文章は少ない目になると思います。
申し訳ございません。


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「空堀商店街」西側(松屋町筋側)入口

空堀商店街
松屋町筋から上町筋にかけて、上町台地を横断するように東西に伸びる商店街。
「空堀どーり商店街」「はいからほり」「空堀商店街」という3つの商店街が
一本の商店街としてつながっており、長さは800mにも及びます。



西側(松屋町筋側)から東側に向かって見ていきます。

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この辺りは上町台地の西側の斜面に位置し、商店街が長い坂道になっています。
結構活気があります。




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西側(松屋町筋側)を振り返る




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勾配のきつい部分も




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「旧ヤム邸」
築130年の古い建物をリノベーションし、2011年オープンしたカレー屋




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「旧ヤム邸」と「紙匠雑貨エモジ」




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「紙匠雑貨エモジ」横から見た商店街北側
かなりの高低差があります。
空堀周辺は東西だけではなく南北にも起伏があり、非常に複雑な地形となっています。




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坂道を上りきった辺りで「空堀商店街」から「はいからほり商店街」になり、
アーケードや看板のデザインが少し変わります。

商店街の先の方、アーケードが途切れている部分が谷町筋です。
谷町筋の向こう側(東側)は「空堀どーり商店街」となります。




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「はいからほり商店街」東側(谷町筋側)入口





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谷町筋と、「はいからほり商店街」東側(谷町筋側)入口




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「空堀どーり商店街」東側(上町筋側)入口
「空堀どーり商店街」の東半分はアーケードがありません。
また、上町台地を上りきったところにあるので道路も平坦で、
西側の「はいからほり」「空堀商店街」とは少し雰囲気が違います。





続いて「空堀商店街」の周辺の街並をご紹介していきます。

まずは、「空堀商店街」南側から

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空堀周辺は、起伏の激しい複雑な地形の上に、
空襲を逃れた古い街並や建物が随所に残っているので、
大阪ではあまり見ることのない街並が広がっています。




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先程ご紹介した「旧ヤム邸」もそうですが、
空襲を逃れた古い建物をリノベーションして営業している新しい店舗が多く、
なんとなく、京都の三条界隈や中崎町に近い雰囲気があります。

写真右側は、長屋再生複合ショップ「惣-so-」です。
「惣-so-」のHP http://www.so-karahori.com/



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突き当たり(北側)が、「空堀商店街」のアーケードです。


今日はここまで。
次回は「空堀商店街」の北側をご紹介していく予定です。


■空堀商店街のHP http://www.karahori-walker.com/
 

高津宮(2)

 
前回の 高津宮(1)に続いて、「高津宮」のご紹介です。

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北西側から見た「高津宮」北坂

今日は相合坂、西坂、北坂と、高津公園をご紹介していきます。
まずは、相合坂から見ていきます。



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「相合坂」(縁結びの坂)
明治後期、氏子の土地奉納により今のような坂ができた。
横から見ると二等辺三角形で男女が両方から同時に登り、
頂点でピタリと出会うと相性が良いと云われている。




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「相合坂」南側の坂(上から)



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「相合坂」南側の坂(下から)



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「相合坂」南側の坂(登り口)



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「相合坂」北側の坂(上から)



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「相合坂」北側の坂(下から)



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「相合坂」北側の坂(登り口)
左側の階段はこの後ご紹介する「西坂」です。




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西坂と北坂



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「西坂」(縁切り坂)
明治初期まで坂の形状が三下り半になっていて俗に「縁切り坂」と呼ばれていた。
今は諸々の悪縁を絶つ坂としてひそかに知られている。
(昔は離縁状を三下り半の形式で書いていた)



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「西坂」(下から)



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「北坂」
昨日の記事でご紹介した「神輿庫」の横、神社の北西角にある入口です。



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「北坂」(上から)



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「北坂」から見た「高津公園」



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「北坂」(下から)





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「高津公園」(北側から)
道路に面する西側を除いて「高津宮」を取り囲む公園です。
「高津宮」の北側は広場、北東〜「高津宮」東側は梅林、南側は「高津宮」の表参道があります。




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赤ちゃんや幼児を連れた母親や小学生位の子供たち、犬の散歩をする人の姿を多く見かけました。
市民の憩の場所になっています。



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北東側の梅林
摩耶紅や白加賀など約20品種・200本の梅が植えられています。



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梅林を通って南側に向かいます。



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「高津宮」東側の梅林
東側(左側)の上町台地のさらに高い部分と「高津宮」の高台(右側)の間で、
谷間のような地形になっています。




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「高津宮」の南東側 梅林を抜けたところ。
昨日の記事でも載せた写真ですが、表参道の東側です。
この辺りは桜がたくさん植えられているようです。



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1つ上の写真の逆側 表参道から見た東側



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「高津公園」東側の出入口



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1つ上の写真の逆側 東側の道路から見た「高津公園」



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「高津公園」東側の道路
「円妙寺」の三重塔が目を引きます。

この通りを北側に進んだところが空堀になります。
空堀もまた後日ご紹介できればと思っています。




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表参道から見た西側



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昨日の記事でも載せた写真ですが、表参道から見た「高津公園」西側の出入口



2回に分けてご紹介してきました「高津宮」特集
とりあえず今回は、以上で終了です。
 


※「高津宮」のホームページ → http://www.kouzu.or.jp/index.html 
結構内容が充実していておもしろいので、ぜひともご覧ください。
 

高津宮(1)

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「高津宮」表参道の入口

高津宮(こうづぐう)
(高津神社)
貞観8年(866)、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、
あったと定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされている。
700年後、正親町天皇の天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城した際に
ご神体を現在地に移したが、第2次世界大戦時の大阪大空襲で神社は悉く全焼。
現在の社殿は、戦後に再建されたもの。
同社は古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、
古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていた。
現在も境内にある「高津の富亭」で、五代目桂文枝一門による落語の寄席が定期的に行われている。
また、境内に桂文枝の石碑も。
大阪観光局のホームページより抜粋)




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「高津宮」表参道の入口がある、千日前通の1つ北側の通り




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坂道の中腹あたりに鳥居と表参道への入口があります。




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北側にある本殿に向かって、表参道を進んで行きます。




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表参道




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表参道の途中にある「梅乃橋」




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江戸時代この橋の下に“梅川”という川が流れていて道頓堀につながっていたそうです。



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南側 表参道の入口の方を振り返る




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表参道の東側
参道の両側は公園になっています。




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表参道の途中から見た西側




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すぐ隣にこのようなお洒落な飲食店があります。
「GROVE」というお店で、通常のランチやディナーの他、ウェディング等の貸切パーティーもできるようです。




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神社の南側の入口




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「高津宮」は上町台地西側の傾斜したところに立地していますが、
境内は周囲よりさらに高い位置にあります。




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階段の途中から、表参道の南側を振り返る




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階段を上りきると正面に本殿があります。




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向かって左側(西側)には、手水舎や参集殿「高津の富亭」が見えます。




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本殿
昭和36年竣工、平成11年修復
主祭神:仁徳天皇



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当宮は浪速の地を皇都(高津宮)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社であります。
仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました
御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。
その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)によって
旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。
以後世々皇室を始め時の幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と仰がれ御神威輝き渡ったのでありますが、
その後700年を経た正親町天皇の天正十一年(1583年)豊臣秀吉が大阪城の築城に際し
比売古曽社の現在地に御遷座(神社の御神体が移ること)になって今日に及んでおります。
 仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも
「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」
と歌われています。

 昭和二十年三月の第二次大戦の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しました。
しかし戦後氏子を始め崇敬の厚い奉賛により昭和三十六年十月社殿以下ことごとく復興完成を見ました。

高津宮のホームページより抜粋)



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本殿から見た南側





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参集殿「高津の富亭」
古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、
古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていた「高津宮」ですが、
ここ「高津の富亭」では、五代目桂文枝一門による落語の寄席をはじめ、
プロや社会人落語家による寄席が定期的に開催されています。





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本殿の東側にある「高倉稲荷神社(末社)」




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「高倉稲荷神社」の東側の階段の下には、
谷末社(白菊社、千年社、常高社)や陰陽石があります。




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「仁徳庭園」
平成14年、本殿と「高倉稲荷神社」の間から本殿の裏側(北側)に完成した庭園。
庭園の名称は、 高津宮の御祭神である仁徳天皇に因み「仁徳庭園」とつけられました。





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「絵馬殿」
現在はビルに遮られていますが、江戸時代は今の絵馬堂の当たりが、展望の名所として全国にも知られており、
ここで望遠鏡を貸して大阪のまちなみの説明をする商いが庶民の娯楽としてにぎわっていたそうです。




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「絵馬殿」の前にある大阪市歌の石碑
仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも
「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」
と歌われています。




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「絵馬殿」内部(南西側)



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南西側 下から見た「絵馬殿」




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絵馬殿内部(北西側)



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北西側 下から見た「絵馬殿」





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境内の北西角付近にある「神輿庫」
宝暦年間(1751~1764年)より戦火をまぬがれて今に至ります。
(大神輿2基、小神輿2基を格納)

「神輿庫」の右隣に見えるのは「比売古曽神社(摂社)」です。


「高津宮」次回に続きます。
 


※「高津宮」のホームページ → http://www.kouzu.or.jp/index.html 
結構内容が充実していておもしろいので、ぜひともご覧ください。
 

上町台地(天王寺七坂等)4 - 千日前通 -

「天王寺七坂」は昨日までで全てご紹介しましたが、
今日は千日前通を少しだけご紹介します。

今までの記事
上町台地(天王寺七坂等)1 - 天王寺駅周辺〜清水坂 -
上町台地(天王寺七坂等)2 - 愛染坂〜学園坂 -
上町台地(天王寺七坂等)3 - 源聖寺坂〜真言坂 -



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千日前通(「谷町9」交差点付近から見た西側)
大阪市内を東西に貫く幹線道路で、大正区の大正橋交差点から東成区の新深江交差点の区間が
「千日前通」と呼ばれています。
谷町筋と交差する「谷町9」交差点と、松屋町筋と交差する「下寺町」交差点の間は
上町台地の高低差が約20mあり、このような長い坂道が続いています。



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千日前通(「下寺町」交差点の歩道橋から見た東側)
坂の中腹、両車線の真ん中には阪神高速の入口があります。



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「下寺町」交差点付近 坂の下から見た千日前通歩道部分
長い堺道ですが、自転車や徒歩で上ると結構勾配きついです。



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「谷町9」交差点付近 坂の上から見た千日前通歩道部分



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「谷町9」交差点の地下には、地下鉄谷町九丁目駅があり、
地下通路で近鉄 大阪上本町駅とも繋がっています。



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「谷町9」交差点から見た西側 難波方面
上記でご紹介した長い坂道になっています。



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「谷町9」交差点から見た東側 上本町方面
こちらは上町台地の最高部付近で比較的平坦です。



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北側から見た「谷町9」交差点付近と谷町筋
長堀通と交差する「谷町6」交差点と共に、渋滞緩和のためにこのようなアンダーパスが設けられています。

建設中のあべのハルカスも見えています。




とりあえず、今回の「上町台地(天王寺七坂等)」シリーズはここまでです。

上町台地に関しては他にもまだまだご紹介したいところがありますので、
また、おいおいUPしていければと思っています。


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長堀通(松屋町付近)



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中央大通(法円坂付近)



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上町台地の北端
谷町筋から見た「天満橋」南詰



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「天満橋」から見た南側 谷町筋方面



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八軒家浜近くから見た谷町筋のひとつ西側の筋の坂道
 
 

上町台地(天王寺七坂等)3 - 源聖寺坂〜真言坂 -

昨日に続いて、今日も「天王寺七坂」を中心に上町台地の写真をUPしていきます。

一昨日・昨日の記事
上町台地(天王寺七坂等)1 - 天王寺駅周辺〜清水坂 -
上町台地(天王寺七坂等)2 - 愛染坂〜学園坂 -



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昨日は、写真手前の方にある「学園坂」までご紹介しましたが、
今日は、その北側(写真上半分)のエリアです。「源聖寺坂(げんしょうじざか)」から見ていきます。




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「源聖寺坂(げんしょうじざか)」(西側、松屋町筋から)
「天王寺七坂」の1つで南側から6番目(北側から2番目)にある坂道。
向かって左(北側)が坂の名前の由来になった「源聖寺」です。



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この坂は登り口に源聖寺があるので、その名を取っている。
付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。
齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡・同南岳父子の墓があり、
銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、
半兵衛の比翼塚が建てられている。
(写真の案内板から)



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松屋町筋から東に10mほどの石畳は、
昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が転用されているということです。



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上り始めは石畳の緩やかな坂道ですが、途中から急勾配で大きくカーブした石の階段になります。
「天王寺七坂」の中でも、一番複雑な構造の坂だと思います。



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階段が始まる辺りから見た西側、松屋町筋方面



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この辺りはかなりの急勾配になっています。



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カーブの途中から見た西側



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階段を上りきった地点から見た西側



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こういうのを見ると歴史を感じます。



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階段を上りきったところで一旦平坦になり、そこからまた東側に向かって石畳の緩やかな坂道が続きます。



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1つ上の写真の逆側から
向かって左(南側)が銀山寺、右(北側)が齢延寺です。



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源聖寺坂と齢延寺の山門





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生玉公園
源聖寺坂の少し北側、生國魂神社の南隣にある公園。
上町台地の西側の崖線上に東西に跨がって位置し、天王寺公園と同じように公園内に高低差があります。



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上町台地の斜面の森の部分にはこのような歩行者用の道も整備されています。



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土地の起伏といい深い緑といい、大阪市内しかも都心近くの松屋町筋沿いとは思えない環境です。



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斜面を下ってきた地点



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公園内にこんな銘板を見つけました。

公園の地下には戦時中に作られた「都市防空壕」があるらしいです。
銘板によると、
生玉公園は1940年(昭和15年)年に着工、42年(昭和17年)年5月に開園。
地下壕は、当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として
大阪市によって建設されたそうです。

〈地下壕の構造〉
内部の構造はアーチ状で無筋コンクリート造り、2階建て(ただし2階部分は現存せず)
本体は幅約9m、高さ約6.5m、長さ約24m、1階部分の床面積203平方メートル

1つ上の写真の右側に見えるコンクリートの壁のような部分に入口があったようです。



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西側、松屋町筋の方から見た生玉公園

「戦争の傷跡」と言いますか、一見ごく普通の公園に見える生玉公園ですが、
そういう過去があったんですね。いろいろ考えさせられます。





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難波大社 生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)(表門から)
(生玉神社・いくたまさん)

石山崎(現在の大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのが始まりとされる延喜式名神大社。
天正8年(1580)の石山合戦の時に焼失したが、天正11年(1583)豊臣秀吉が大阪城を築く際、現在の地に移転。
本殿は移転の2年後に造営され、本殿と幣殿をひとつの流造で葺きおろし、正面に千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の
3つの破風を据えたという、神社建築史上ほかに例のない「生國魂造」様式を用いる。
現在の本殿は戦後に建て替えられたコンクリート造銅板葺きだが、桃山時代の遺構を伝えているそうだ。
大阪観光局のホームページより抜粋)



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撮影した日は、表門から東に伸びる参道で「蚤の市」が行われており、賑わっていました。
(毎月8日に行われているらしいです。)



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生國魂神社 北門



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生國魂神社 北門から見た北側「真言坂(しんごんざか)」方面



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「真言坂(しんごんざか)」(南側、坂の上から)
「天王寺七坂」の1つで南側から一番北側にある坂道で、
生國魂神社の北門から千日前通に通じています。「天王寺七坂」で唯一南北に通る坂道です。
千日前通が整備される前は、さらに北側にある高津神社まで通じていたらしいです。



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北側 千日前通との交差点から見た「真言坂(しんごんざか)」

生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。
うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。
すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれた
(写真の案内板から)




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写真右側(北側)の千日前通に向かって「真言坂」が伸びているのに対して、
左側(西側)の松屋町筋に向かって伸びる「生玉北門坂」もご紹介しておきます。



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「生玉北門坂」(東側、坂の上から)
「天王寺七坂」には含まれていませんし、ちょっと裏通りっぽい雰囲気もありますが、
個人的には好きな坂道です。



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松屋町筋に向かって坂を下っていくと、途中でこのように大きくS字にカーブしています。



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坂の途中から見た、坂の上の方(南東側)
生國魂神社の石垣が見えます。



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坂を下りきったところ 松屋町筋との交差点から見た「生玉北門坂」
坂の上り口には生國魂神社の鳥居があります。
「生玉北門坂」は生國魂神社北門から北西に斜めに伸びているので、
松屋町筋と千日前通が交差する「下寺町交差点」のすぐ南側に出てきます。



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生國魂神社の鳥居と看板


「天王寺七坂」は全てご紹介しましたが、
次回は、千日前通以北をもう少しだけご紹介します。
 
 

上町台地(天王寺七坂等)2 - 愛染坂〜学園坂 -

昨日の上町台地(天王寺七坂等)1 - 天王寺駅周辺〜清水坂 -に続いて、
今日も「天王寺七坂」を中心に上町台地の写真をUPしていきます。

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今日は、写真手前の「大阪星光学院」のグランドやテニスコートの北側、
「大江神社」との間にある「愛染坂(あいぜんざか)」から北に向かって順にご紹介していきます。




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「愛染坂(あいぜんざか)」
「天王寺七坂」の1つで南側から4番目にある坂道。
「大阪星光学院」(南)と「大江神社」(北)の間に位置します。



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その名のとおり、坂の下り口ある愛染堂勝鬘院から名付けられた。
愛染さんの夏祭り(六月三十日)は大阪夏祭りの先駆けとして知られ、
境内の多宝塔は市内最古(文禄三年)の建造物で、重要文化財と指定されている。
大江神社には「夕陽岡」の碑があり、このあたりからの夕焼けは今も美しい。
(写真の案内板から)



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上(東側)から見た愛染坂



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下(西側)から見た愛染坂



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「大江神社(おおえじんじゃ)」(東側から)
勝鬘院(愛染さん)の西隣、愛染坂の真横にある神社で、聖徳太子によって建立された
四天王寺七宮(上之宮・小儀・土塔・乾・河堀・堀越・久保)のうちのひとつ。



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大江神社から見た南側
手前の道が愛染坂。その向こうに「大阪星光学院」のテニスコートや有栖山清水寺の「舞台」、
さらに奥には、阿倍野の大阪市立大学医学部・附属病院、あべのグラントゥールも見えます。



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境内の階段



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東側から見た大江神社





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「口縄坂(くちなわざか)」
「天王寺七坂」の1つで南側から5番目(北側から3番目)にある坂道。
左側の石碑は『夫婦善哉』など大阪を舞台にした作品を数多く残した
作家・織田作之助の『木の都』の一節が刻まれた文学碑です。
口縄坂は織田作之助が七坂の内で一番愛した坂らしいです。



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坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられたという。
付近の浄春寺には、暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、
太平寺には、医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。
また、梅旧院には芭蕉の供養碑もみられる。
(写真の案内板から)



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上(東側)から見た口縄坂
深い緑に囲まれた石畳の階段が、非常に風情がありますね。



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階段の下から見た口縄坂



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西側、松屋町筋から見た口縄坂
階段を下りた西側は石畳の緩やかな坂道になっています。




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「学園坂」
「天王寺七坂」には含まれていませんが、「天王寺七坂」にこの「学園坂」を加えて
「天王寺八坂」とも呼ばれることもある坂です。
「口縄坂」と「源聖寺坂」の間、大阪夕陽丘学園(短大・高校)の南側に位置します。

車も通れる坂道ですが、車は松屋町筋 → 谷町筋への東行きの一方通行となっています。



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歩道部分を西側に向かって下って行きます。



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坂の頂上付近(1つ上の写真の場所)を除いて、歩道、自転車用レーン、車道に分けられています。
写真右(北側)は大阪夕陽丘学園のキャンパスです。



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「学園坂」という名前の通り、学生をよく見る気がします。



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途中までは直線ですが、坂の西側、終盤に差し掛かったところで急カーブがあります。



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急カーブの手前から見た坂の上(東側)
写真では伝わりにくいですがかなり急勾配です。
私もたまに自転車で通るのですが、いつもゼエゼエ言いながら上っています(笑)



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急カーブはこのようなS字カーブになっています。



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カーブの下から



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学園坂を下りきった地点、松屋町筋との交差点「学園坂交差点」の歩道橋(今は撤去されているようです)から



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「学園坂交差点」の歩道橋から見た北東側
上町台地の西側の崖線に沿って帯状に緑が連なっています。
松屋町筋(写真左側)と上町台地に挟まれた南北に細長い地域は下寺町(したでらまち)で、
上町台地の西側と共に、寺院や神社が集積しています。



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1つ上の写真と同じく「学園坂交差点」の歩道橋から見た南東側
写真右端には、建設中のあべのハルカスが見えます。



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写真手前に見える大きな建物が大阪夕陽丘学園のキャンパス。その手前に学園坂があります。

次回は、さらに北側、「源聖寺坂(げんしょうじざか)」からスタートです。
 
 

上町台地(天王寺七坂等)1 - 天王寺駅周辺〜清水坂 -

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天王寺公園北口交差点(合法ヶ辻)の歩道橋から見た上町台地とあべのハルカス周辺のビル群

数年前撮影のちょっと古い写真が大半になってしまうんですが、今日から「天王寺七坂」を中心に上町台地の写真をUPしていきます。
キャプションは少ない目で写真ばかりになると思いますが、上町台地はいろんなサイトやブログで紹介されているので、
詳細は詳しいサイトをご覧いただければと思います。(申し訳ございません・・)




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あべのハルカスJR天王寺駅周辺から、上町台地西側を北に向かって順にご紹介していきます。





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阿倍野歩道橋から見た「尼崎平野線」※

※「尼崎平野線」…あべのハルカスJR天王寺駅のある「近鉄前交差点」から西に向かって伸びる幹線道路
「近鉄前交差点」より東側は「あびこ筋」、国道26号と交差する西成区の「花園北交点」より西側は国道43号となります。



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あべのルシアス前から見た「尼崎平野線」※



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坂を下ったところ動物園前駅付近から見た東側「近鉄前交差点」方面





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天王寺公園の南側 JR環状線・大和路線の掘割との間の通り



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1つ上の写真と同じ通りの歩道から





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大阪市立美術館
天王寺公園内にもこうのような高低差があります。



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天王寺公園内の坂道



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天王寺公園内の坂道





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谷町筋沿い 天王寺公園の北側にある堀越神社




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堀越神社(北側から)
前(写真左側)の通りが谷町筋




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堀越神社前の東側から見た南側 あべのハルカス方面





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写真左下が「一心寺」
そこから上(北)に向かって伸びる緑の部分は上町台地の西端の崖線で、
「天王寺七坂」をはじめ、たくさんの坂道や階段が並んでいます。
写真右側に見える大きい通りは谷町筋です。





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天王寺公園北口交差点(合法ヶ辻)の歩道橋から見た「逢坂(おうさか)」



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「逢坂(おうさか)」
「天王寺七坂」の1つで一番南側にある坂道。
坂の南側に「一心寺」、坂を上りきった東側には「四天王寺」があります。
「天王寺七坂」の中で唯一、片側2車線の幹線道路(国道25号線)です。



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坂の下の方にある石碑



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坂の頂上付近「一心寺前」交差点
ここから上(東側)は坂道がY字に分かれて、両側の車線がしばらく別々になります。 
そういえば、東京の目黒駅近くの権之助坂と少し形が似てますね。



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1つ上の写真の逆側 坂の上から
写真左側(南側)に「一心寺」が見えます。



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「一心寺」の南側 天王寺公園との間にはこのような坂道もあります。



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1つ上の写真の逆側 坂の下から





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「天神坂(てんじんざか)」
「天王寺七坂」の1つで南側から2番目にある坂道。
安居神社(安居天神)へ通じる坂道なのでこのように呼ばれています。



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この辺りには、「天王寺七名水」と呼ばれる良質の湧き水があったそうです。
天神坂には当時の湧き水の雰囲気を再現したモニュメントも設置されています。



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上(東側)から見た天神坂



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「安居神社」
天神坂を下ったところのすぐ近くにある神社で、
大坂夏の陣に真田幸村が戦死したところで、境内には「真田幸村戦死跡之碑」があります。






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「清水坂(きよみずざか)」
「天王寺七坂」の1つで南側から3番目にある坂道。
「有栖山清水寺」(南)と「大阪星光学院」(北)の間に位置します。



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新清水清水院に登る坂道をいう。
高台にある新清水寺境内からの眺望は格別で、
さらに境内南側のがけから流れ出る玉出の滝は、大阪唯一の滝として知られている。
また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、
増井・逢坂・玉手・安井・土佐(有栖)・金龍・亀井の清水は七名泉と呼ばれている。
(写真の案内板から)



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上(東側)から見た清水坂



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下(西側)から見た清水坂
写真左(北側)が「大阪星光学院」、右(南側)が「有栖山清水寺」です。



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有栖山清水寺の「舞台」

有栖山 清水寺(ありすざん きよみずでら)
京都の清水寺 を模して建立されたために、「新清水寺」とも呼ばれています。



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「舞台」からは難波のビル群も見渡せます。



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「舞台」から見た北側



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「舞台」から見た南側
通天閣も見えています。



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境内の階段を下に降りて行くと、



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「玉出の滝」(たまでのたき)
京都の清水寺の「音羽の滝」を模した滝で、大阪市内唯一の天然の滝となっています。





とりあえず今日はここまで。

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ほとんど切れてしまっていますが、写真左手前に「有栖山 清水寺」が見えます。
「清水坂」を挟んで、その上(北側)に「大阪星光学院」のグランドやテニスコートがあります。

次回は、「大阪星光学院」の北側、
「大江神社」との間にある「愛染坂(あいぜんざか)」からスタートです。