今宮戎神社「十日戎」2015.0111 (1)境内編に続いて、
今宮戎神社の
「十日戎」のレポート(2)周辺編です。
(2015年1月11日撮影)

「十日戎」の参拝者で賑わう南海(本線・高野線)の高架沿いの道路
今宮戎神社大阪市浪速区恵美須西一丁目に鎮座。商売繁盛の神様「えべっさん」として信仰を集める神社です。
創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに
同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。
祭神は天照皇大神・事代主命(戎さん)・外三神。
戎さんはもともと漁業の守り神ですが、海岸沿いだったこともあり古代からこの辺りで開かれていた
「市」の守り神としてもこの戎さんが祀られていたそうです。
その後いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになり、
「天下の台所」と呼ばれ大阪が商業都市として繁栄を遂げた江戸時代の頃からは、大阪の商業を護る神様として
篤く崇敬されるようになり「十日戎」の行事もこの頃から賑わうようになりました。
さらに元禄期になると、1月9・10・11日の三日間にわたって「十日戎」の祭礼が開催され、
宝恵籠の奉納も行われるようになり、今日と同じような祭礼となりました。
現在は、1月9・10・11日の3日間に約100万人を超える参詣者が訪れ、
周辺一帯も含めて大変な賑わいを見せます。
※詳細は、
今宮戎神社のHPや、
大阪観光局のHP内の記事をご覧ください。
先程UPした
(1)では境内の様子をご紹介しましたが、
続けて周辺の街の様子をご紹介していきます。
まずは、北側から

難波中2交差点付近
南海なんば駅や
なんばCITYの東側から

難波中2交差点
南海なんば駅の高架下を東西に横断する蔵前通り

難波中2交差点から、南海(本線・高野線)の高架に沿っては
交通規制(車両通行禁止)が敷かれ、屋台や夜店、露店がぎっしり並びます。

難波中2交差点付近

11日(残戎)の夜の23時頃ですが、まだまだこの人混みです。

南海(本線・高野線)の高架と
なんばCITY南館、
その奥(西側)には
なんばパークスも見えます。

阪神高速環状線の高架下

「十日戎」では、このように中で座って飲食できる屋台がたくさん並び、
アルコールと共に関東煮やサザエのつぼ焼き、どて焼き、焼鳥、唐揚げ等様々メニューも豊富です。

今宮戎神社の近くになると、熊手等の縁起物を販売する露店も多くなります。

阪神高速環状線の高架を超えてさらに南下します。

難波中2交差点から高架沿に沿って約1km南下すると、国道25号との交差点付近で南海今宮戎駅が出てきます。
南海今宮戎駅南海なんば駅の1つ南の駅。
南海本線・高野線が併走する複々線区間にありますが、南海本線のホームはなく南海本線の「普通」は通過、
高野線の「各駅停車」のみが停車する駅となっています。(阪急の中津駅と同じケースですね)

高架下(1階)にある改札口およびきっぷ売場

十日戎の期間は、普段使われていない西側の臨時改札口がオープンし大混雑に対応しています。

今宮戎神社東側の道路

今宮戎神社東側の道路を少し北に行ったところにある「廣田神社」
今宮戎神社とは関係が深いと言われており、
「十日戎」の際はこの「廣田神社」の境内も賑やかになります。

廣田神社 本殿
今宮戎に詣った後にこの廣田神社に詣り、その後
なんばCITYで食事をして帰るというのが
「十日戎」の際の個人的な習慣になっています。

今宮戎神社南側の道路
今宮戎神社のすぐ東側には毘沙門天王を御本尊とする「浪速寺」があります。

浪速寺

最後は、今宮戎神社や浪速寺の南側を走る国道25号の様子です。
今宮戎神社から東に約250mのところには、
阪堺及び地下鉄堺筋線の恵美須町駅があります。
今宮戎神社「十日戎」2015.0111 以上です。
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今日は
今宮戎神社の
「十日戎」のレポートです。
写真点数が多いので
(1)境内編と
(2)周辺編に分けてご紹介していきます。
(2015年1月11日撮影)

「十日戎」で賑わう今宮戎神社の境内
今宮戎神社大阪市浪速区恵美須西一丁目に鎮座。商売繁盛の神様「えべっさん」として信仰を集める神社です。
創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに
同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。
祭神は天照皇大神・事代主命(戎さん)・外三神。
戎さんはもともと漁業の守り神ですが、海岸沿いだったこともあり古代からこの辺りで開かれていた
「市」の守り神としてもこの戎さんが祀られていたそうです。
その後いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになり、
「天下の台所」と呼ばれ大阪が商業都市として繁栄を遂げた江戸時代の頃からは、大阪の商業を護る神様として
篤く崇敬されるようになり「十日戎」の行事もこの頃から賑わうようになりました。
さらに元禄期になると、1月9・10・11日の三日間にわたって「十日戎」の祭礼が開催され、
宝恵籠の奉納も行われるようになり、今日と同じような祭礼となりました。
現在は、1月9・10・11日の3日間に約100万人を超える参詣者が訪れ、
周辺一帯も含めて大変な賑わいを見せます。
※詳細は、
今宮戎神社のHPや、
大阪観光局のHP内の記事をご覧ください。

南側の鳥居
実家が商売をしていることや、細々とではありますが私自身も商売を営んでいることから
この30年位からほぼ毎年のように訪れていた今宮戎の「十日戎」ですが、
喪中やらタイミングやらでここ数年は詣りに来れていかなったので、
今年は久しぶりの「十日戎」となりました。
今回、私が行ったのが3日目「残戎(残り福)」の夜だったからか、
個人的にはいつもに比べてちょっと人が少なめで歩きやすかったなあという印象ですが、
3日間に約100万人以上が訪れるだけあって、それでも大変な人出や活気でした。

南側の鳥居越しに見る境内

鳥居の下から見た南側の参道の様子

こちらは南東側の入口

境内では「商売繁盛でササ持ってこい」のお囃子が流れ、ものすごい活気です。
人が多くて本殿まで辿り着くのにひと苦労です。

本殿

パッと見ると正月の初詣のような雰囲気ですが、初詣と大きく違うのは
参拝者の多くが笹を持っているところです。

神社授与所で配布される笹に「吉兆」と呼ばれる小宝を取り付けてもらいます。

笹に「吉兆」を取り付ける福娘

福娘

福娘
福娘は、40名の枠に対して毎年3,000人を超える応募がある超高倍率の公募から選出された人たちで、
十日戎前に官公庁・各関係団体・報道関係への挨拶回り、七日の餅まき行事、八日の舞楽奉納式に参列。
十日戎3日間は神社授与所で笹の授与を行う他、十日の宝恵駕籠行列にも参加します。

境内を奥(北側)に進んでいきます。

この辺は南花街組合等いろんな団体のブースが設けられています。

境内を奥(北側)に進んで行くと本殿の裏手の方に銅鑼(どら)があります。

お詣りして、笹に吉兆を取り付けてもらった後はこの銅鑼を叩いていきます。

本体が全く見えないくらい、銅鑼には名刺やステッカーびっしり貼付けられています。
今宮戎神社「十日戎」2015.0111 (2)周辺編に続きます。
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