■上本町・谷町周辺 > 上町台地・谷町周辺 > 上町台地(天王寺七坂等)3 - 源聖寺坂〜真言坂 -

上町台地(天王寺七坂等)3 - 源聖寺坂〜真言坂 -

昨日に続いて、今日も「天王寺七坂」を中心に上町台地の写真をUPしていきます。

一昨日・昨日の記事
上町台地(天王寺七坂等)1 - 天王寺駅周辺〜清水坂 -
上町台地(天王寺七坂等)2 - 愛染坂〜学園坂 -



uemc_44DSC_0769.jpg
昨日は、写真手前の方にある「学園坂」までご紹介しましたが、
今日は、その北側(写真上半分)のエリアです。「源聖寺坂(げんしょうじざか)」から見ていきます。




uemc_45DSC_0661.jpg
「源聖寺坂(げんしょうじざか)」(西側、松屋町筋から)
「天王寺七坂」の1つで南側から6番目(北側から2番目)にある坂道。
向かって左(北側)が坂の名前の由来になった「源聖寺」です。



uemc_45DSC_0666.jpg
この坂は登り口に源聖寺があるので、その名を取っている。
付近一帯は、寺町として長い歴史を持つ。
齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡・同南岳父子の墓があり、
銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、
半兵衛の比翼塚が建てられている。
(写真の案内板から)



uemc_45DSC_0663.jpg
松屋町筋から東に10mほどの石畳は、
昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が転用されているということです。



uemc_46DSC_0668.jpg
上り始めは石畳の緩やかな坂道ですが、途中から急勾配で大きくカーブした石の階段になります。
「天王寺七坂」の中でも、一番複雑な構造の坂だと思います。



uemc_45DSC_0623.jpg
階段が始まる辺りから見た西側、松屋町筋方面



uemc_48DSC_0622.jpg
この辺りはかなりの急勾配になっています。



uemc_47DSC_0619.jpg
カーブの途中から見た西側



uemc_50DSC_0615.jpg
階段を上りきった地点から見た西側



uemc_49DSC_0625.jpg
こういうのを見ると歴史を感じます。



uemc_50DSC_0618.jpg
階段を上りきったところで一旦平坦になり、そこからまた東側に向かって石畳の緩やかな坂道が続きます。



uemc_51DSC_0613.jpg
1つ上の写真の逆側から
向かって左(南側)が銀山寺、右(北側)が齢延寺です。



uemc_51DSC_0612.jpg
源聖寺坂と齢延寺の山門





uemc_52-4DSC_0626.jpg
生玉公園
源聖寺坂の少し北側、生國魂神社の南隣にある公園。
上町台地の西側の崖線上に東西に跨がって位置し、天王寺公園と同じように公園内に高低差があります。



uemc_52DSC_0628.jpg
上町台地の斜面の森の部分にはこのような歩行者用の道も整備されています。



uemc_53DSC_0635.jpg
土地の起伏といい深い緑といい、大阪市内しかも都心近くの松屋町筋沿いとは思えない環境です。



uemc_52-3DSC_0633.jpg
斜面を下ってきた地点



uemc_52-2DSC_0631.jpg
公園内にこんな銘板を見つけました。

公園の地下には戦時中に作られた「都市防空壕」があるらしいです。
銘板によると、
生玉公園は1940年(昭和15年)年に着工、42年(昭和17年)年5月に開園。
地下壕は、当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として
大阪市によって建設されたそうです。

〈地下壕の構造〉
内部の構造はアーチ状で無筋コンクリート造り、2階建て(ただし2階部分は現存せず)
本体は幅約9m、高さ約6.5m、長さ約24m、1階部分の床面積203平方メートル

1つ上の写真の右側に見えるコンクリートの壁のような部分に入口があったようです。



uemc_52-1DSC_0660.jpg
西側、松屋町筋の方から見た生玉公園

「戦争の傷跡」と言いますか、一見ごく普通の公園に見える生玉公園ですが、
そういう過去があったんですね。いろいろ考えさせられます。





uemc_61DSC_0643.jpg
難波大社 生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)(表門から)
(生玉神社・いくたまさん)

石山崎(現在の大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのが始まりとされる延喜式名神大社。
天正8年(1580)の石山合戦の時に焼失したが、天正11年(1583)豊臣秀吉が大阪城を築く際、現在の地に移転。
本殿は移転の2年後に造営され、本殿と幣殿をひとつの流造で葺きおろし、正面に千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の
3つの破風を据えたという、神社建築史上ほかに例のない「生國魂造」様式を用いる。
現在の本殿は戦後に建て替えられたコンクリート造銅板葺きだが、桃山時代の遺構を伝えているそうだ。
大阪観光局のホームページより抜粋)



uemc_61-2DSC_0641.jpg
撮影した日は、表門から東に伸びる参道で「蚤の市」が行われており、賑わっていました。
(毎月8日に行われているらしいです。)



uemc_61-3DSC_0647.jpg
生國魂神社 北門



uemc_62DSC_0648.jpg
生國魂神社 北門から見た北側「真言坂(しんごんざか)」方面



uemc_62-2DSC_0653.jpg
「真言坂(しんごんざか)」(南側、坂の上から)
「天王寺七坂」の1つで南側から一番北側にある坂道で、
生國魂神社の北門から千日前通に通じています。「天王寺七坂」で唯一南北に通る坂道です。
千日前通が整備される前は、さらに北側にある高津神社まで通じていたらしいです。



uemc_63DSC_0677.jpg
北側 千日前通との交差点から見た「真言坂(しんごんざか)」

生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。
うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。
すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれた
(写真の案内板から)




uemc_64DSC_0650.jpg
写真右側(北側)の千日前通に向かって「真言坂」が伸びているのに対して、
左側(西側)の松屋町筋に向かって伸びる「生玉北門坂」もご紹介しておきます。



uemc_64-2DSC_0654.jpg
「生玉北門坂」(東側、坂の上から)
「天王寺七坂」には含まれていませんし、ちょっと裏通りっぽい雰囲気もありますが、
個人的には好きな坂道です。



uemc_65DSC_0655.jpg
松屋町筋に向かって坂を下っていくと、途中でこのように大きくS字にカーブしています。



uemc_66DSC_0657.jpg
坂の途中から見た、坂の上の方(南東側)
生國魂神社の石垣が見えます。



uemc_67DSC_0659.jpg
坂を下りきったところ 松屋町筋との交差点から見た「生玉北門坂」
坂の上り口には生國魂神社の鳥居があります。
「生玉北門坂」は生國魂神社北門から北西に斜めに伸びているので、
松屋町筋と千日前通が交差する「下寺町交差点」のすぐ南側に出てきます。



uemc_67-2DSC_0670.jpg
生國魂神社の鳥居と看板


「天王寺七坂」は全てご紹介しましたが、
次回は、千日前通以北をもう少しだけご紹介します。
 
 
関連記事

管理者にだけ表示を許可する