
「高津宮」表参道の入口
高津宮(こうづぐう)
(高津神社)
貞観8年(866)、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、
あったと定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされている。
700年後、正親町天皇の天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城した際に
ご神体を現在地に移したが、第2次世界大戦時の大阪大空襲で神社は悉く全焼。
現在の社殿は、戦後に再建されたもの。
同社は古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、
古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていた。
現在も境内にある「高津の富亭」で、五代目桂文枝一門による落語の寄席が定期的に行われている。
また、境内に桂文枝の石碑も。
(大阪観光局のホームページより抜粋)

「高津宮」表参道の入口がある、千日前通の1つ北側の通り

坂道の中腹あたりに鳥居と表参道への入口があります。

北側にある本殿に向かって、表参道を進んで行きます。

表参道

表参道の途中にある「梅乃橋」

江戸時代この橋の下に“梅川”という川が流れていて道頓堀につながっていたそうです。

南側 表参道の入口の方を振り返る

表参道の東側
参道の両側は公園になっています。

表参道の途中から見た西側

すぐ隣にこのようなお洒落な飲食店があります。
「GROVE」というお店で、通常のランチやディナーの他、ウェディング等の貸切パーティーもできるようです。

神社の南側の入口

「高津宮」は上町台地西側の傾斜したところに立地していますが、
境内は周囲よりさらに高い位置にあります。

階段の途中から、表参道の南側を振り返る

階段を上りきると正面に本殿があります。

向かって左側(西側)には、手水舎や参集殿「高津の富亭」が見えます。

本殿
昭和36年竣工、平成11年修復
主祭神:仁徳天皇

当宮は浪速の地を皇都(高津宮)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社であります。
仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました
御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。
その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)によって
旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。
以後世々皇室を始め時の幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と仰がれ御神威輝き渡ったのでありますが、
その後700年を経た正親町天皇の天正十一年(1583年)豊臣秀吉が大阪城の築城に際し
比売古曽社の現在地に御遷座(神社の御神体が移ること)になって今日に及んでおります。
仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも
「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」
と歌われています。
昭和二十年三月の第二次大戦の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しました。
しかし戦後氏子を始め崇敬の厚い奉賛により昭和三十六年十月社殿以下ことごとく復興完成を見ました。
(高津宮のホームページより抜粋)

本殿から見た南側

参集殿「高津の富亭」
古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、
古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていた「高津宮」ですが、
ここ「高津の富亭」では、五代目桂文枝一門による落語の寄席をはじめ、
プロや社会人落語家による寄席が定期的に開催されています。

本殿の東側にある「高倉稲荷神社(末社)」

「高倉稲荷神社」の東側の階段の下には、
谷末社(白菊社、千年社、常高社)や陰陽石があります。

「仁徳庭園」
平成14年、本殿と「高倉稲荷神社」の間から本殿の裏側(北側)に完成した庭園。
庭園の名称は、 高津宮の御祭神である仁徳天皇に因み「仁徳庭園」とつけられました。

「絵馬殿」
現在はビルに遮られていますが、江戸時代は今の絵馬堂の当たりが、展望の名所として全国にも知られており、
ここで望遠鏡を貸して大阪のまちなみの説明をする商いが庶民の娯楽としてにぎわっていたそうです。

「絵馬殿」の前にある大阪市歌の石碑
仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも
「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」
と歌われています。

「絵馬殿」内部(南西側)

南西側 下から見た「絵馬殿」

絵馬殿内部(北西側)

北西側 下から見た「絵馬殿」

境内の北西角付近にある「神輿庫」
宝暦年間(1751~1764年)より戦火をまぬがれて今に至ります。
(大神輿2基、小神輿2基を格納)
「神輿庫」の右隣に見えるのは「比売古曽神社(摂社)」です。
「高津宮」次回に続きます。
※「高津宮」のホームページ → http://www.kouzu.or.jp/index.html
結構内容が充実していておもしろいので、ぜひともご覧ください。
大阪市歌いいですね。歌詞に力強さが溢れていて、自信に満ちているのがわかります。
今の大阪に足りない部分は、こういった部分かもしれないですね。自虐的になるのではなく、日本第2の都市であり、歴史・文化に溢れる街であるという事に誇りをもっていいと思います。
その為にもまずは、大阪のイメージ改善が最重要です。いろんな原因があると思いますが、悪いイメージの街に誇りや好感はもてませんからね。。。
それは企業にしても同じだと思います。悪いイメージがある場所に進んで進出はしないでしょう。これ以上の企業の流出を防ぐ為にも、早急にイメージ改善をはかるべきです。
それが、大阪再生への第一歩になるのではないでしょうか。
大阪市歌いいですよね。僕も好きです。
確かに、kotoさんが仰られる通り、今の大阪にはこういった部分が足りないですね。
長年に渡ってテレビ等のマスコミにステレオタイプなイメージを植え付けられてきたというのも
大きな原因だと思いますが、大阪の市民自体がすっかり自虐的になってしまったような気がします。
歴史・文化に関しては言うまでもないですが、
市歌にも「東洋一の商工地・・」というくだりがあるように、
日本第2の都市どころか、かつては人口もGDPも東京を凌ぐ大都市だったんですよね。
東京に抜かれ差をつけられたとは言え、今も世界有数のGDPや人口を誇る大都市ですし、
大阪の市民自身が大阪にもっと誇りを持ってほしいと僕も思います。
そういえば、2016年のNHK大河ドラマが
上町台地をはじめ大阪に非常に縁のある真田幸村に決まったそうですよ。
これは大阪にとってはかなりのチャンスですね。
aoriです。
おはようございます。
本当に大阪のイメージや東京マスコミに植え付けられた偏見を取り除くことが重要だと思います。
でも、マスコミがどんなに偏向しても、以前も話しましたように海外の大阪の評判はすこぶる良いし、今年のGWは(あれだけマスコミが大阪スルーしたにもかかわらず)大阪好調でした。
そのことに対する焦りなのか、産経新聞は一層大阪潰しにかかるような記事を出してきました。
あまりにも怒り狂う内容なので貼り付けておきます。
元株主・大阪市と裁判で争うUSJ…“蜜月”今は昔、加速する「脱関西」の動き
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140511-00000531-san-ent
つまり、「今好調なUSJがあることが、東京にとって都合が悪い。大阪のイメージが上がるのが都合悪い。でもUSJ自体は叩けないからどんな手段を使っても大阪市の仇をまぜこぜにして全力で大阪市とUSJの関係を悪くして、大阪のネガティブな印象操作をして大阪からUSJを引きはがしにかかる」
そう言う主旨以外には考えられませんね。
もうここまでやれば、本当に産経新聞に抗議すべきだと思いますし、大阪市役所にもUSJとの関係について確認する必要がありますね。
私も建設業界なのですが、「日経コンストラクション」の記事にしても、建設プロジェクトの良い時事は東京や関東を出して、特に五輪絡みは凄くポジティブな記事で、一方事件や談合などの事故絡みの記事は大阪・京都市府など近畿を取り上げにかかっています。
日経や東洋経済などのビジネス誌も東京賞美・大阪罵倒は年々酷くなる一方です。
もうここまでやれば編集部への抗議や大阪府市の事実関係などを調べる必要があります。
ネットや口コミなどあらゆる手段で積極的に大阪を守りに入る必要があるのかと思います。
aoriさん おはようございます。
USJの記事は僕もaoriさんと同じような印象を抱きました。
好調なUSJにまであんなケチをつけてくるとは、
もうなにがなんでも大阪のネガキャンをしないと気が済まないんでしょうね。
以前からそうですが、なにか大阪に恨みでもあるのかというくらい
産経新聞の大阪叩きはちょっと異常ですね。
とても大阪発祥で今も東京と共に大阪に本社を置いている新聞社と思えないですよ・・。
> 私も建設業界なのですが、「日経コンストラクション」の記事にしても、建設プロジェクトの良い時事は東京や関東を出して、特に五輪絡みは凄くポジティブな記事で、一方事件や談合などの事故絡みの記事は大阪・京都市府など近畿を取り上げにかかっています。
>
> 日経や東洋経済などのビジネス誌も東京賞美・大阪罵倒は年々酷くなる一方です。
産経は特に酷いですが、やはり出版業界全体にそういう傾向有りますよね。
テレビは言わずもがなですし・・。
その結果、当然ネット上もそういったマスコミに影響を受けたアンチ大阪や大阪を見下している人が
多いのが現実ですし。はっきり言って大手マスコミは本当にこの国の癌ですね。