前回の 高津宮(1)に続いて、「高津宮」のご紹介です。

北西側から見た「高津宮」北坂
今日は相合坂、西坂、北坂と、高津公園をご紹介していきます。
まずは、相合坂から見ていきます。

「相合坂」(縁結びの坂)
明治後期、氏子の土地奉納により今のような坂ができた。
横から見ると二等辺三角形で男女が両方から同時に登り、
頂点でピタリと出会うと相性が良いと云われている。

「相合坂」南側の坂(上から)

「相合坂」南側の坂(下から)

「相合坂」南側の坂(登り口)

「相合坂」北側の坂(上から)

「相合坂」北側の坂(下から)

「相合坂」北側の坂(登り口)
左側の階段はこの後ご紹介する「西坂」です。

西坂と北坂

「西坂」(縁切り坂)
明治初期まで坂の形状が三下り半になっていて俗に「縁切り坂」と呼ばれていた。
今は諸々の悪縁を絶つ坂としてひそかに知られている。
(昔は離縁状を三下り半の形式で書いていた)

「西坂」(下から)

「北坂」
昨日の記事でご紹介した「神輿庫」の横、神社の北西角にある入口です。

「北坂」(上から)

「北坂」から見た「高津公園」

「北坂」(下から)

「高津公園」(北側から)
道路に面する西側を除いて「高津宮」を取り囲む公園です。
「高津宮」の北側は広場、北東〜「高津宮」東側は梅林、南側は「高津宮」の表参道があります。

赤ちゃんや幼児を連れた母親や小学生位の子供たち、犬の散歩をする人の姿を多く見かけました。
市民の憩の場所になっています。

北東側の梅林
摩耶紅や白加賀など約20品種・200本の梅が植えられています。

梅林を通って南側に向かいます。

「高津宮」東側の梅林
東側(左側)の上町台地のさらに高い部分と「高津宮」の高台(右側)の間で、
谷間のような地形になっています。

「高津宮」の南東側 梅林を抜けたところ。
昨日の記事でも載せた写真ですが、表参道の東側です。
この辺りは桜がたくさん植えられているようです。

1つ上の写真の逆側 表参道から見た東側

「高津公園」東側の出入口

1つ上の写真の逆側 東側の道路から見た「高津公園」

「高津公園」東側の道路
「円妙寺」の三重塔が目を引きます。
この通りを北側に進んだところが空堀になります。
空堀もまた後日ご紹介できればと思っています。

表参道から見た西側

昨日の記事でも載せた写真ですが、表参道から見た「高津公園」西側の出入口
2回に分けてご紹介してきました「高津宮」特集
とりあえず今回は、以上で終了です。
※「高津宮」のホームページ → http://www.kouzu.or.jp/index.html
結構内容が充実していておもしろいので、ぜひともご覧ください。
5~6年くらい前に初めて高津宮に行った時ですが、カルチャーショック並みの衝撃を受けました。大阪の中心部に、こんな落ち着いた緑に囲まれた場所があるんだ、、、、と。
大阪生まれ大阪育ちの私ですが知りませんでした(それなりに地理は得意なのでいろいろ大阪を知っているつもりでしたが)。
私もブログをやっていますが、高津宮や下寺町周辺の記事をもっと取り上げて、いろいろ紹介したいと思っています。
同感です。
僕も高津宮や天王寺七坂に初めて行った時は感動しました。
緑が少ない大阪のしかも都心近くにこんな場所があったのかと驚きましたし、
昔からなぜか坂道が好きなんで興奮しまくったのを憶えています。
僕は地方出身のお上りなんで、田舎から出てきて初めて知ったのですが、
大阪生まれ大阪育ちのぶるーばーどさんでも知らなかったんですね。
マスコミがもっと取り上げてくれればいいんですが、
例によって道頓堀や新世界以外の大阪は本当に触れられる機会がないですもんね。。
本当に勿体ですね。
ぶるーばーどさんのブログ時々拝見させてもらっています。
いいブログですね。いつも楽しませてもらってますよ。
上町台地や高津宮、下寺町周辺を紹介していただきたいです。
楽しみにしています。
さすが地元のブログですね。
私も高津宮は好きで10回は行きましたので北側の公園は知っていましたが、北側の公園と南東側の公園が宮を通らずに行けるとは知らなかったです。今度梅の季節に通ってみます。
南東側の桜は小さい公園ですが、なにか風情があってきれいです。
仁徳帝、戦前は没後1500年大祭典が明治32年9月7日から14日まで行われ、大阪中で大イベントが開かれたほどで身近な存在だったようですね。
仁徳帝大阪の誇りとすべきなのに、今の大阪人は仁徳帝と大阪の関係すら知らない、残念な限りです
今回七坂と高津宮良かったです。ありがとうございます。
記事とは何の関係もなく恐縮ですが、大阪に登記上の本社がある大企業が、東京に本店を移すみたいですね。
このような動きが加速すると大阪だけでなく近畿圏としても非常に辛いです。
企業を呼び戻す事は現状不可能に近いですので、一度出て行った企業は戻らないと思います。
一極集中はこれからも続く中で、何の対策もうてないことが非常にもどかしいですね
この気持ち凄く分かります。
だが、近畿と言うのは文化が発達していますから、幾ら奪われても「また作る」と言うことが出来るのです。
近畿は今まであらゆるものを創造してきたのです。
それを東京の権力者が奪い取っているのです。
だが、東日本大震災などを踏まえて大阪など西日本に機能分散する動きも水面下では動いているみたいですし、いくら政府や官僚が意地でも東京に権力を集中することに強欲担っても、放射能汚染・災害リスクなどはごまかせないのでしょう。
もうこうなれば大阪から再度企業や文化・創造物を生み出していく方が早いのかもしれません。
返信遅くなってしまってすみません。
いつもありがとうございます。
そうなんです。高津宮の東側が谷のような地形になっていてそこに梅林が続いてるんですよ。
梅の時期や桜の時期はかなり綺麗だろうなと思います。
> 仁徳帝、戦前は没後1500年大祭典が明治32年9月7日から14日まで行われ、大阪中で大イベントが開かれたほどで身近な存在だったようですね。
> 仁徳帝大阪の誇りとすべきなのに、今の大阪人は仁徳帝と大阪の関係すら知らない、残念な限りです
意外と知られていないですよね。
学校の歴史の授業でもなぜか深く掘り下げられずサラッと流される部分ですしね。
日本の歴史において大阪って常にかなり重要なポジションにあるはずなんですが、
それがあまり知られていないのは歯痒いですね。。
70年代位からもうずっとその繰り返しですね。
今、東京に本社を置いていて東京の企業だと思われているような大企業でも
実は大阪発祥、大阪に本社を構えて大きく成長したところがかなり多いですね。
悔しいですが、大企業まで成長するといつも東京に奪われてしまうんですよね。
特に金融や商社、マスコミ、繊維でその傾向が強い気がします。
逆に製造業は東京に移りにくい傾向があるような気がしますね。
製造業の割合が高い京都や名古屋なんかは大阪ほど大企業を奪われていませんよね。
(まあ、大阪と、京都や名古屋では元々の企業の数自体も違いますが)
確かに、全く事例がないわけではないですが、
一度出て行った企業を戻すのは至難の業でしょうね。
はっきり言って、この企業や業界団体の東京への移転というのは、
東京一極集中の弊害がいろいろある中でも、一番痛いですね。
aoriさん
> もうこうなれば大阪から再度企業や文化・創造物を生み出していく方が早いのかもしれません。
僕もそれは同感なんですが、
もうずっと生み出して成長させては東京に繰り返しで、
やってもやってもエンドレスに続くんじゃないですかね?
正直、本当にウンザリしてます。
旭化成でしたっけ?最近また大企業の東京移転のニュースが大々的に出てましたけど、
その手のニュースを見るのが一番辛くて歯痒いです。。
旭化成は相当昔日米繊維交渉の時、唯一大阪にあった繊維団体本部を、東京への移転を計画した通産省と駆け引きして、当時の宮崎社長が大阪を裏切り、東京に住まいを移し、経営の中枢を東京に移した繊維会社第一号の会社で、登記上の本社を置いてもらわなくてもいいのではないでしょうか。
私は大阪に明かりは見えてきていますので、心配していません。都市神殿論を論じた梅棹先生は、都市の発展は情報をいかに集めるかで、工業都市ではなく、商業都市として本社機能をいかに集めるかであると述べています。大阪に情報が集まれば、大阪の企業は活性化し、おのずと企業は集まるのです。工業は都市を空洞化すると論じています。
工業にとらわれた大阪の現状はその通りです。
外資系のカジノ各社が府知事に日参して、大阪にIR設置を要望しています。
広大な空き地、価格の安さと人口と国際空港があるからで、条件としては東京を凌いでいるようです。
但し日本政府の判断は別ですが。
IRはカジノと大型見本市会場と国際会議が三本柱で、内外から人が集まればおのずと情報が集まり、企業の本社機能が集積します。IRは観光だけではない。
見本市会場と将来規制緩和された株と商品の先物取引すなわち総合取引の大阪取引所が連携すれば商都として、金融都市として復活します。
見本市会場は世界基準は欧米、中国とも40万㎡で、日本でも少なくとも20万㎡、今のインテックスの3倍の規模は必要で、大阪には広大な空き地があり、負の遺産を転化すればよいが、東京ではできません。
20万㎡の見本市会場が日本になければ、アジアの中心は完全に中国となります。
肝心の大阪で維新と自民が足の引っ張り合いをしていることが問題で、橋下氏はそれなりの着眼があり、一本化すれば20年程度で大阪は大発展すると期待しています。そのスタートとしてIR誘致に全力を挙げることです。
※平松氏はインテックスを3万に縮小しようとした。
能力の違いは歴然。
昭和50年まで8大商社が大阪で活躍していた時は見本市も大阪の方が活況で、問屋も大半大阪であったが、今大阪の見本市は完全に死んでいる。会場の大きさを突破口にするしかない。
masaさん
橋下市長や松井府知事も頑張ってるみたいですけど、
IRはなにがなんでも大阪に誘致してもらいたいです。
ただ、嫌な予感がするのが、
オリンピック招致でもその他の事業やイベントでも、
東京と大阪で全く対応の違う政府や官僚のことですから、
東京より大阪の方が有力となったとたん、また全力で潰しにかかられるんじゃないかなと。
それだけが本当に怖いです。
旭化成の話とも関連しますが、
日米繊維摩擦の時は、通産省が「敵は米国にあらず大阪なり」と断言したような国です。
東京一極集中のためなら、もうなんでもありって感じですからね。
そういえば、維新の会が橋下氏と石原氏で分党するそうですね。
僕個人的にはあの合流自体が反対でしたし、今更もう遅過ぎる気もしますが、
ひとまず、橋下氏たちは、タカ派・右寄りの政策はおいといて、
また維新の原点に戻って改革を進めてほしいものです。