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阪神・淡路大震災から20年

 
 
6434人が亡くなり、3人が行方不明になった
阪神・淡路大震災から今日で丸20年になりました。
改めて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

私の住んでいたところは部屋のものが少し倒れたり電車が不通になって高校に行けなかったくらいで、
直接の被害はありませんでしたが、あの時の揺れや衝撃は今もはっきり憶えています。



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フラワーロードとJR三ノ宮駅・阪急三宮駅
長年にわたって神戸のシンボル的存在だった阪急三宮駅の駅ビル「神戸阪急ビル」は
震災で大きなダメージを受け軌道を支える構造部分のみを残し解体されました。
(2013年4月撮影/ 神戸(三宮・元町周辺) 130415(1)三宮駅周辺 その1 から流用)



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阪神・淡路大震災によって半壊した「そごう神戸店」(阪神三宮駅)
半壊した箇所(ガラス張りでエスカレーターになっている部分)は解体、
復旧工事の後、1996年4月に営業再開しました。
(2013年4月撮影/ 神戸(三宮・元町周辺) 130415(1)三宮駅周辺 その1 から流用)



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アーケードの落下、建物の倒壊、火災、等々甚大な被害を受け「三宮センター街」
現在のアーケードは1998年3月に再建されたものです。
(2013年4月撮影/ 三宮・元町 130415(3)三宮センター街 から流用)



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JR・山陽電鉄の高架といくたロード
(2013年4月撮影/ 三宮・元町 130415(4)いくたロード・元町など から流用)



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倒壊し、1997年に建て直された「大丸神戸店」
(2013年4月撮影/ 三宮・元町 130415(5)大丸神戸店など から流用)


こうして見ると、今ではすっかり復興して活気が戻った神戸市ですが(いろいろ課題もあるとは聞きますが)、
震災直後に歩いた神戸の街の風景や雰囲気は今でも自分自身の感覚に焼き付いていて、
変な言い方ですが、神戸在住ではなく復興していく段階を見続けてきたわけではない私にとっては、
震災前の神戸、震災直後の神戸、現在の神戸が、なんか同じ街とは思えないような不思議な感覚があります。


阪神・淡路大震災や東日本大震災等、災害がおこる度に自然災害の脅威を痛感しますが、
日本は自然災害が多い国で、いつどこで自分自身が地震等の災害に遭遇してもおかしくないということ、
災害に対する対策や心構えの重要さを絶対に忘れてはいけないということを、
改めて考えた2015年1月17日です。


神戸市では、震災の経験や教訓を継承するために
阪神・淡路大震災の発災直後や復旧・復興の様子など
約1,000枚の記録写真をオープンデータとして提供するサイト
「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」
http://kobe117shinsai.jp/)を開設しています。

被災された方や家族や大事な人を亡くされた方々の心境は僕には想像もつきませんし、
思い出したくない辛い思い出だと言う方もいらっしゃるかもしれませんが、
地震をはじめとする自然災害の脅威を知ったり、震災の経験や教訓を継承するためには
非常に貴重な写真や情報だと思いますので、
当時まだ生まれていなかった方や幼くて記憶がない方等、
阪神・淡路大震災をあまり知らないという方には、ぜひ一度見ていただきたいなと思います。
 
 
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479:

震災特集ありがとう。
私はその時東京勤務で、直接地震にあっていませんので、あまり資格はありません。
思うにこの復興は早かったのか、遅いのか、計画に問題はなかったのかを検証するべきと思うが、敗戦記念日を終戦記念日として、政府内でも誰一人勝てないと思っていた米国との戦争をやめるべしと進言した人間は左遷して戦地に送り、戦争を強行した東條総理はじめとして誰も責任を取らなかった日本そのもので、復興讃歌の放送には飽き飽きしている。
せめて中国の成都と比較するくらいの勇気が必要、最も成都はどうなっているかわからないが、今や内陸部の一番活気のある都市と聞く、地価でも百貨店売上でも福岡に抜かれ、人口も抜かれようとしている神戸よりましかなと思う。

こんなことになったのは

一に国が一国二制度を認めなかったこと、
 そのため大規模な産業政策は何ら実行できなかった。
二は神戸市が震災前に住民の反対で行き詰っていた再開発計画を住民の反対が弱まったのをこれ幸いと実行したためである。

結果は大失敗。
新長田も六甲もコンクリートの街はできたが、商店街も商人も死んだ。一方数々の提案があった三宮は何もせず復旧のみで、梅田との格差は広がり、センター街も落ち込む一方。駅周辺も六大都市の駅周辺とはいえない。

つくづく日本は官僚の国と考えさせられる。
地震も官僚にとっては好機になっただけ。
中央官僚には東京以外はどうでもよいのも明白になった。

日本はアベノミクスでインフレに転換して、名目GDPを大幅に上昇させた後は、維新が日本の統治システムをつぶすくらいでないとこの国は本質的に再生しないと思いださせてくれたのが震災20年の日でした。

2015.01.18 23:14 masa #- URL[EDIT]
480:masaさん

masaさん

今年で20年ということで、
僕自身は直接の被害にはあっていませんがいろいろ思うところもあって、
僕なりにざっくりとした感じで震災関係のことを書いてみました。
確かmasaさんは淡路島のご出身でしたよね。


神戸も街並上はすっかり復興したように見えますが、
やはり経済の部分では神戸はもちろんですが大阪も含めて近畿全体が
あの震災の尾を引いてるようですよね。

> つくづく日本は官僚の国と考えさせられる。
> 地震も官僚にとっては好機になっただけ。
> 中央官僚には東京以外はどうでもよいのも明白になった。
この件に関しては僕もいろいろと思うところがあります。

まずは、都構想の実現。
ここにきて公明党が方向性を変えてきたので住民投票までは実現できそうですが、
その後、これは選挙結果や世論の雰囲気を見ていても正直あまり期待はできませんが
維新には日本の統治システムを本当に根本から変えてもらいたいですね。
このままでは、東京をはじめとする関東や東海以外の地域は本当にやっていけなくなるでしょう。
特に東京一極集中や中央集権の割を一番食ってる大阪・近畿は厳しいと思いますね。

2015.01.20 15:32 MIYA(@miya_osaka) #- URL[EDIT]

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